マルク・マリー・ド・ロ神父の功績にミャンマーを重ねる

 皆さんはド・ロ神父をご存じでしょうか。ご存じの方はクリスチャンか長崎県出身、あるいは相当な長崎好きの方だと思います。「ド・ロ壁」や「ド・ロ様そうめん」「ド・ロ神父のかんころ餅」なども有名です。

ド・ロ神父の軌跡を追う

 マルク・マリー・ド・ロ神父(1840-1914年)は、明治初期から大正にかけて、貧困や飢餓、疾病に苦しんでいた長崎外海の住民に対して農地の改良や殖産、福祉、建築などを指導し、自立(自律)の道を開いたフランス人宣教師です。貴族の父から遺産を譲り受け、現在の価値で2億円ともいわれる私財をなげうって、外海の貧しい村民たちと生活を共にし、その一生を長崎で終えた方です。
 今回私は日本に立ち寄り、このド・ロ神父の軌跡を追ってみました。今、自分にできることは何か。10年後の未来を創るため、偉人たちが残した功績を辿り、自分が行おうとしていることが「将来のミャンマーを創る」ことに通ずるのか、確信を得るためでもありました。
 ド・ロ神父の功績は凄まじく、自分の国でもないのにここまで支援できるのか?驚き隠せませんでした。それとともに、信念に基づき突き動かされる「何か」が彼の魂から沸き起こっていたのだと想像することができたのです。
 布教のために訪れた長崎の外海でしたが、ド・ロ神父はまず貧しかった人々の生活を支えることから始めました。授産所(貧困者や失業者に自立助長のため仕事や技能を与えることを目的とした施設)を設立し、織物や染色などの技術を習得させたのです。その後「女部屋」と呼ばれる教会奉仕と福祉活動を目的とした共同体へと発展していきます。私学校も開設し、学問の道も開かれました。また、パンやそうめんなどの製法も教え、それを販売し収入に変えていきます。藪だらけの荒れ放題の土地を見つけては開墾し、畑に変えていきます。“息つく暇もないほどの忙しさ”であったろうと思います。
 彼らの食料は「かんころ餅」というサツマイモを乾燥させたもので、少しずつふやかして食べたとのことです。電気も無い時代、ローソクの灯りの中で彼は何を見ていたのでしょうか。

ミャンマーの未来を創るために

 私は、このド・ロ神父の功績こ
そが現在のミャンマーには必要なのではないだろうかと感じました。その上で、栃木県那須塩原市にあるアジア学院の有機野菜栽培や、スコットランドにあるエコシステムで自然と共創するフィンドホーンなどがミャンマーの未来を創るうえでモデルケースになるのではないかと考えたのです。
 今回の長崎訪問は、ヤンゴンでロードサービスを展開するSATJAPANの山口弘隆社長とメトロITビジネスカレッジの堀啓輔様のご協力で実現しました。

 ご縁は自分では創れない!有意義な時間をありがとうございました。

2024©MFCG

(2024年1月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/