日本とミャンマーの強い絆を感じた日

 およそ350社!皆さんはこの数字を見て何を想像するでしょうか。2023年8月現在、ミャンマーで頑張っている日本企業の数です。私はこの数字をお聞きした時、「まだこんなに頑張っている日本企業がいるんだ」と正直びっくりし、嬉しくもなりました。この数字は想像以上のものでしたが、日本とミャンマーの力強い絆を感じる機会となりました。このことはミャンマーの人々にもぜひ知って頂きたいと思いました。
 先日、ヤンゴンにある「ミャンマー日本商工会議所(JCCM)」の理事会において、ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)の活動に関してお話しする機会を頂きました。在ミャンマー日本国大使館の方も御臨席で、ZOOMを含め30名以上のメンバーの皆さまが現在のミャンマー情勢などについて協議されていました。私は後半に25分ほどお時間を頂き、農村部の現状についてお話ししました。

2023©MFCG

農村部を襲う負のスパイラル

 2020年、世界中を巻き込んで経済を麻痺させた新型コロナ感染症の蔓延。さらに、2021年に政情の激変が追い打ちをかけます。それまで上昇していたミャンマー経済はジェットコースターのように急降下に陥り、現在も大きな影響を及ぼし続けています。
 多くの国民は仕事を失い、収入の道が閉ざされてしまいました。私たちMFCGが活動している農村部の人々への影響は、さらに深刻なものでした。デイーゼル燃料の高騰により灌漑用ポンプが使えなくなり、稲作面積を減らす農民も増えました。農家は田植えや稲刈りの時期に日雇い労働者を雇っていましたが、これも人数が大幅に削減されました。農村部ではこのような悪循環が起こっているのです。
 若者たちは家計を助けるために都市部へ出稼ぎに行くようになり、若者がドンドンいなくなっています。私たちが活動するミャウンミャも例外ではなく、ある村では10代の青年がヤンゴンに出稼ぎに行っています。また、別の村では10歳の少女が小学校を辞めざるを得なくなり、ヤンゴンにメイドとして出て行きました。日本やシンガポールへ働きに行く人もいます。2015年からこの地で活動していますが、このような現象は初めてです。
 日本で働くために日本語を習得しなければなりません。今年7月2日に行われた日本語能力試験には、日本以外に居住するミャンマー人10万人が申し込んだといわれています。ヤンゴンでは日本語学校の数が激増ししており、ここミャウンミャにも新たに2校ができました。
 また、ミャンマーにはナースエイドというコースがあります。介護施設での介助が主な仕事となります。コースの内容は様々ですが、受講料は2万8千円程度で、コースの卒業生はシンガポールでホームヘルパーとして働くことが可能となり、就労ビザの取得も可能です。そのため、多くの若者がこのコースを受講しています。このほか、海外のホテル関係に就職するためにヤンゴンのホテルで働いている若者もいます。

それでも「未来は明るい」と確信

 ミャンマーは、このままでは未来を創る若者がいなくなってしまうのではないかと危惧していますが、一方でJCCM会員企業のように日々ミャンマー経済を支えている企業がまだ350社もあるのは大変頼もしい限りだと感じました。この関係はこれからも崩れることなくミャンマーと日本の架け橋として継続していくと確信しております。
 今回、貴重な機会を与えてくださいました在ミャンマー日本国大使館とJCCMの皆さまに大変感謝しております。本当にありがとうございました。

(2023年10月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/