大型サイクロン「MOCHA」、ミャンマーに上陸

 皆さんは、2008年にミャンマーで14万人の死者を出したといわれるサイクロン「ナルギス」をご存じでしょうか?今回、このサイクロンに匹敵する大型サイクロンが来るといわれています。(この原稿は、5月12日に執筆しています)

忘れられない惨状

 2008年の災害時は、私も他の国際医療支援団体の一員として緊急医療支援を行いました。5月2日に発生したこのサイクロンによる被害は、目を覆いたくなるような光景でした。けが人の治療などの医療支援のみならず、飲料水を確保するための大きなバケツや歯ブラシなどの衛生用品、ロンジー、サンダル、米、塩、食用油… 様々な生活必需品を夜明けから深夜まで駆けずり回り手配したことが思い出されます。

 沿岸地のエーヤーワディ管区ラプタの被害は、私が担当した地域の中でも最大級でした。この地域の家は高床式で、そのほとんどは竹や藁葺きで出来ています。そのため、強風により跡形も無く吹き飛ばされてしまいます。しかし、2年後に再訪した時には以前と同じように竹と藁で造られた高床式の家が立ち並んでいました。自然のものは自然に“その土地”に還ります。彼らにとって、その上に家を建てるのは比較的簡単であたりまえのことなのかもしれません。

 2011年には東日本大震災の救援活動にも参加させて頂きましたが、瓦礫の山が積み重なったそのその風景は、最新の科学(文化)と自然災害を対照的に際立たせていたのが印象的でした。瓦礫の撤去には長い時間が必要なことを知り、複雑な思いがしたものです。

過去の経験を活かし住民は自主避難

 2008年の時の経験を活かし、今回はラプタに住む多くの人たちが1週間くらい前から高台に位置するミャウンミャのお寺に一時的に避難してきています。まずは子どもたちから安全な場所へと送り出し、次に母親が避難します。しかし、家を守るために残るという父親もいると聞き驚愕しました。「お父さんがサイクロンに巻き込まれても良いのだろうか…? と、疑問を感じつつも私たちが今できることを考えました。

 ある寺院には、1,500人以上が避難してきました。別の小さな寺院には、30人ほどの人々が身を寄せ合うなど、2008年の体験を活かし自主的に避難しているのです。

 お米や水はお寺から提供されるとのことなので、私たちは歯ブラシを1人1本と石鹸を各家庭に2個ずつ寄付することにしました。お寺の僧侶にお渡しして、各家庭に配布していただくようお願いしました。避難した人々は、15日までお寺で様子を見るそうです。政情の不安定さに加え、このような災害にも見舞われ多くの人々が気持ちを落とすことが予想されます。最小限の被害に留まるよう、出来る限りの準備を整えサイクロンの上陸に備えます。

 余談ですが、ミャンマーではサイクロンの名前に色をつけます。2008年のナルギスには赤が、そして今回はその名の通り「モカ」がつけられました。国によって風習が異なり面白いですが、これ以上サイクロンに色をつけなくてもよい状況になることを切に祈ります。

2023 ©MFCG

※編集部より
サイクロンで被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。
名知先生が活動する地域では、今回は大きな被害が無かったとのことです。

(2023年6月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/