「もらう」「できる」「あたえる」
幸せの深化(進化)

 私たちは、ミャンマーの僻地を巡回し、住民達が自立するためのサポートを行っています。しかし、魚の釣り方は教えても「魚を与える」という活動はしていません。最終的にはMFCGのような団体が不要になるまでに成長することが目標です。

生きるために水は不可欠

 巡回している村のほとんどは学校も無く、電気も通じていない無医村です。安全な飲み水も無く、唯一の水源は藻が生えた池やチョロチョロと流れる小川のようなもので、乾季から暑季にかけては飲み水の確保は困難を極めます。トーイ村でも汚い池の水を煮沸もせず飲むことが普通でした。そのため、腹を下し脱水症状に陥り亡くなる住民も少なくありませんでした。

 私たちは2019年に井戸の掘削を行い、トーイ村の全151世帯に安全な水を供給することが可能になりました。その後、井戸の近くに有機野菜のコミュニティガーデンを作り始めたのです。干上がった土地の開墾から始まり、雨季には塩害に苛まれながらもみんなで力を合わせること約2年10か月…無農薬でチンゲン菜や空心菜などの野菜を栽培することができました。しかし昨年5月、除草剤を使用したことが判明したのです。無農薬栽培を3年間続ければ、ミャンマーオーガニック協会に申請できる。そんな私の目論見は崩れてしまいましたが、メンバーは知らなかったので責めることはできません。

メンバーの成長が何より嬉しい

 気持ちを切り替えて新たにコミュニティガーデンを作ったのですが、今回の場所は水の確保が難しくなってしまいました。最初はバケツで何度も何度も水汲みしていたのですが、とても間に合いません。メンバーは日雇い労働をしながら農作業をしているため、水汲みだけに集中することもできないのです。「生きるために何が必要か」原点に立ち返り考えた結果、ソーラーシステムによる貯水タンクの設置を決めました。私たちは、井戸掘削の時と同じく外部業者に依頼する予定でしたが、なんと今回はコミュニティガーデンメンバーからボランティアを募り、自分たちで設置したいと嬉しい申し出がありました。総勢23人のボランティアの手により2週間で完成させたのです!ボランティアたちは、日雇い労働の日当を投げうって協力してくれました。

 私たちが2017年に活動を始めたとき、トーイ村は「もらう幸せ」だけでした。それが、もらう幸せ→できる幸せ→あたえる幸せに進化(深化)したのです。彼ら自身の成長の証です。

 国際医療の現場は98%が辛い出来事です。日本ではあたりまえに改善する病気が治らず亡くなるなど、思わぬことに直面します。しかし、残りの2%は98%の辛さを上回るだけの喜びを私に与えてくれます。今回の出来事も、その1つでした。

2023©MFCG

(2023年5月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/