看護師になる彼女の夢をかなえるために

 ここは、私たちが2015年から移動クリニックを行っているダボチョン村。世帯数83棟の小さな村に住む17歳のピュー・ピュー・ラインさんは9人兄弟(彼女以外は全員が男の子)の8番目で、下に12歳の弟がいます。

 頭の回転が速く利発な彼女は、若者8人により2021年に立ちあげた互助組織「ダボチョン ユースチーム(TBCYT)」の一員でした。でも残念なことに、彼女以外の7人が家計を助けるためにヤンゴンやパテインに出稼ぎに行ったため、現在このユースチームは機能していません。

経済の悪化には勝てない

 ダボチョン村には看護師や医師がいません。にもかかわらず、彼女の幼い頃からの夢は「看護師さんになること」でした。しかし、試練が訪れます。母親から農作業に出て家計を助けるように言われ、彼女は泣く泣く学校を辞めてしまいました。

 MFCGは2021年12月から全83世帯への食料支援を3回実施し、有機野菜のコミュニティガーデンを構築したほか、能力開発(パーソナル・デベロップメント)や本の読み聞かせ講座など様々な活動をTBCYTと連携して行いました。しかし、経済の悪化には勝てずTBCYTは活動休止を余儀なくされたのです。唯一残ったのは、コミュニティガーデンでした。

 その後も私たちは毎月村を訪ねメンバーと一緒に野菜を栽培していますが、ピュー・ピュー・ラインさんは顔を合わせるたびに「学校に戻りたい」「勉強したい」などと口にします。私は、毎回胸が張り裂けそうになりながら「どうにかできないか?」考えていました。MFCGは村全体で住民自らが健康を守り、命を育み、夢を繋げるようになるためのサポートを行っています。しかし個人に特化したサポートは出来ないのです。

夢のため、少しずつ前進

 そこで、彼女が看護師になるための「夢基金」を個人的に立ち上げることにしました。この活動が、夢を持つ人の未来への希望につながれば、と感じています。「明るく輝く未来を一緒に創る!」その1つの光になるために。この基金に賛同して下さる方も現れ、彼女は6月に始まる新学期で中学校から復帰する予定です。

 しかし、一番近い学校でも自転車で往復1時間かかります。日本と違い整備されていない凸凹道が多く、頻繁にタイヤがパンクしてしまいます。そこで私は、ミャウンミャの町中にある寄宿舎付きの学校に行けるように考え、先日寄宿舎の寮母さんにもお会いしてきました。

 初年度の費用は約3万円。それに加えて、制服や文具一式と通学のためのカバンなども必要です。高校卒業まで4年間、その後ヤンゴンの看護大学で4年間の合計8年間をサポートする予定です。初めは難色を示していたご両親も最終的には賛同してくれました。

 ピュー・ピュー・ラインさんが看護師になると私は68歳になっています。看護師の彼女に血圧を測定してもらう日を夢見て、引き続きここで頑張ります。彼女の未来が明るく希望に満ちたものになりますように。

2023©MFCG

(2023年3月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/