ミャンマーローカルスタッフのマネジメント(2)

 前回に引き続き、ミャンマーローカルスタッフさんのマネジメントのお話です。前回は、恥を忍んで、私がミャンマー事業開始後3年間に経験したマネジメントの失敗談をご紹介しました。その後、離職率が0%になるまで、紆余曲折がありながら、様々な施策を行ってきました。その中で、当時、とりわけ重要視した点をお伝えしてまいります。苦労の末に私の実行した方法で、やって良かったと思うポイントは、下記のとおりです。
①ロールモデルとなるキーパーソンを採用する
②個の成長を促せる仕組みづくりをする
③ミャンマー文化を取り入れて、もう少しでよいことがあると感じられるイベントを行う

 ①について。
 弊事務所がミャンマーオフィスを設立した2013年は、まだまだ日系企業ほか大手外資の進出もそれほど多くなく、JCCY(現JCCM)の所属企業数も150社弱といった時期でした。従って、日系企業に勤めた経験のあるローカルスタッフさんというのも当然多くなく、労使共に手探りで進んでいた頃です。ミャンマーローカル企業は、同族会社が大多数で、人間関係もウェットな傾向にありました。それは今でもカルチャーとして残っていると思います。が、一番の問題点は、直属の日本人上司はロールモデルになりにくい、という点でした。日本人拠点長が、落下傘さながらミャンマーの拠点にやってきて、組織を作り始め、ミャンマーローカルスタッフに指示を出しても、文化も職業のお作法も、全てが違います。言葉の壁もあります。ミャンマースタッフが、自分のキャリアデザインを描く際に、日本人上司の姿は、直接的に参考にならないのでした。

 最初の3年間は、ロールモデルが見つからず、若いスタッフを揃えて、1から手取り足取り指導を行っていました(というつもりでした)。しかし、私の「背中を見て育て」方式のマネジメントではなおさら彼女らに思いは伝わらず、彼女らとしても、自分達がどういう方向性で、どの様に日系企業の組織人としてキャリアデザインを描けば良いのかということがさっぱり分からなかったと思います。
 ミャンマーに来る前、社会人大学院(MBAコース)でも組織論を2年間、かなり勉強していました。しかし、私は、日本でのキャリアとしては、専門職。部下の数も両手にかけるほどの経験しかありません。マネジメントも決して得意ではありませんでした。そんな外人上司が、いくら直接指導したところで、コンフリクトは深まるばかりです。そのような時期、後に右腕、左腕となるキーパーソンが2人入ってきました。1人は、初年度に入社して、プライベートな理由で、いったん1年間離職していた総務のマネージャー、もう1人は、中堅のミャンマー人会計士の女性でした。社内のほとんどが専門職という弊事務所の組織においては、この会計士さんというロールモデルが非常に大切でした。税務においても会計においても、専門的な細かいニュアンスの質問がミャンマー語でできる、将来の自分の姿をイメージすることができる。この安心感が、社員たちのマインドを劇的に変えました。

 ロールモデルとなるキーパーソンで、非常に優秀な人というのは、ミャンマーにおいて、そうゴロゴロいるわけではありません。組織作りの基盤となり、その後のお手本ともなる人ですから、もしそのような人を採用できた場合は、評価、待遇を含めて、特別に厚遇することをおすすめします。以前、成功している会社さんにインタビューに行っていた際、このポイントは、私の心に深く刺さっていました。もちろん、経営の舵取りは、こちら側に責任も権限もありますが、最大限に配慮して、その方のキャリアデザインも最大限尊重することが大切と思います。それが、メンバーにも伝わって良い効果がさらに派生します。
 このロールモデルの方を採用して稼働することができてから、弊事務所の離職率は激減していきました。会社のミッションと個人のキャリアデザインの合致が少しずつできる様になってきたのでした。

 次に。会社のミッションと個人のキャリアデザインのすり合わせを行い、組織としてのまとまりを醸成するために気をつけたのは、②の個の成長を促せる仕組みづくりをする、というポイントでした。これについては、次回またお話できればと思います。

(2023年1月号掲載)

執筆者プロフィール

若松裕子
Japan Outsourcing Service Co., Ltd.(税理士法人Right Hand Associates)ヤンゴン事務所長・税理士。
2014年よりミャンマー駐在。中小企業から上場企業、ミャンマー国内法人まで幅広く事業をサポート。趣味は坐禅。