私はいったい、彼らの何を見ていたのだろうか?

衝撃のニュースが飛び込む

 安倍晋三元首相が亡くなった!それも日中、公衆の目の前で、銃弾に撃たれて…。

 このニュースは、戦後生まれの私には衝撃でした。自分の中で、日本は「安全で平和な国」というイメージが出来ていたのです。

 7月8日11時30分頃(日本時間)、日本に住む友人からニュースが送られてきた。内容を見た途端、私は現場のミャンマー人の仲間やメンバーに「大変だ!大変だ!大変だー!」と騒ぎ、仕事中の手を止めてもらいBBCニュースなどから可能な限りの速報を手に入れようとしました。

 この時、私は彼らが内容を知っても驚かないことに驚いたのです。

ミャンマーの若者たちは激動の中を生きてきた

 現地のメンバーは20歳、24歳、25歳と若い。当初私は「驚かないのは若いからかな?」と解釈していたのですが、彼らの背景をよく考えてみると…。

 2011年、ミャンマー政府は世界に向けて門戸を開き、民政移管を果たしました。その時、メンバーの年齢は9歳から14歳。その前は軍政で、要は専制主義でした。そして、10年後の2021年2月1日、民主主義が破壊され再び軍事政権に逆戻りしたのです。

 私は2004年からミャンマーの人道医療支援に関わらせて頂いています。初めての活動地はラカイン州。当時のラカインでは、政府は一部の民族に対して教育の平等性や結婚の自由はおろか、行動の自由などにも制限を設けていました。人々は自由に自分の意見や想いを口に出すことなど許されない時代だったのです。口を開けば、自分のみならず家族の命も危なくなる可能性があった。だから、誰も自分の想いなど口に出さない。その時のことは、今でも鮮明に思い出されます。

 ここで一緒に活動を共にしている彼らは、生まれた時からそんな状況の中で生きてきました。たまたま、10歳くらいの時に民主化されたとはいえ、その前は「いつ連れ去られるか」と自分の意見も言えない現実の中で生きてきたのです。だから、安倍晋三元首相の暗殺にも驚かない!彼らにとって暗殺は身近なもの。私は愕然としました。私は一体彼らの何を今まで見ていたのだろう。表面的な部分だけだったのかもしれない…。自分自身を恥じたのです。

 この国の行く末を彼らと共に見ていきたい。そして、少しでも彼らの力になりたい!それが、今の私が言えることです。

~~誰一人も取り残すことのない地球を~~

MFCGは10周年を迎えることができました。6/12に行われた10周年記念イベントの模様です(2022©MFCG)

(2022年8月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/