戦闘開始の宣言から1か月、ミャンマー市民は今

D-day(戦闘開始)の宣言から1か月以上がたった。
ヤンゴンでの生活に、変わったところはない。

いや、むしろ町には以前よりも活気が戻っている。
急激なインフレでも、ショッピングモールは人で溢れているし、渋滞も増えた。
インヤー湖畔には、犬を散歩させる家族づれや、いちゃつくカップルの姿。

町のいくつかのポイントには、相変わらず軍がバリケードを張り、傍には兵士が立っている。
不意に通り過ぎる軍のトラックからは、通行人に向けて銃口が突き出ている。

うわ、軍だ、と一瞬だけ緊張する、その瞬間も日常生活の一部になった。

スーチーさんの自宅前。
24時間体制で(たぶん)、兵士が見張っている。
 
土嚢を積まれたボックスの中からは(写真では見えないが)銃口がこちらに向けられてセットされている。

明日から始まるダディンジュ(雨季明けの満月)の連休、
ビーチに向かう飛行機や観光地のホテルは、すでに予約でいっぱいだと聞く。

それでいい、と頭ではわかっている。
経済を回さなくてはならない。この日常を生きていかねばならない。

それでも、もうひとつの現実、、、
つまり、地方では軍の兵士やPDFが殺し合っていることを思うと
気楽にヤンゴン生活を送ることに、罪悪感を抱いてしまう。

だから、あまり深く考えないようにする。
そして、負傷したPDFへの医療支援にいくばくか寄付をして、お茶を濁す。

レストランでおいしい料理をお腹いっぱい食べたあとに
「やれる支援はやっている」とこっそり自分を正当化していることに、
自分だけは気がついている。
(PDF=民主派の戦闘グループ。民主派政府NUG公認の人民軍。)

10/11 CDM(不服従運動)と PDF(軍への武力攻撃)を支持するカレーの人々。
 
PDFはもちろん、PDFを支援する人も、今は即行で軍のターゲットになる。
  
こういうデモは、締め付けの強いヤンゴンではちょっと考えられない。地方の人たちに元気をもらう。
(Myanmar Now/Facebook)

閉塞感でどうしようもない時、私はミャンマー人たちと話す。

「D-dayまで宣言したのに、ヤンゴンにいると何も状況が変わらないみたい。
 それどころか、クーデター前の状況に戻っていくみたいで、なんか複雑」

そんな風に嘆くと、友人たちはこんな風に教えてくれる。

「ヤンゴンにいると、見えないよね。
 でも地方ではPDFが本当にがんばっているんだよ」

「PDFは十分な装備も給与もないけど、信念がある。
 何より軍に捕まったら殺されるから、命がけで戦う。だから強いよ。

 警察と軍には、PDFほどの士気はない。正義がないからね。
 奴らはもう、戦うのが嫌になってきている。
 地方では、PDFと戦わずに民主側に寝返る兵士も多いんだって」

別の友人が「ヤンゴンでも、毎日いろんなことが起きているよ」と口を挟む。

確かに、どこかで爆発が起きたとか、ダラン(軍の密通者)が殺されたという話はしばしば耳にする。
でもそんな情報も、ひっきりなしにあるわけではない。

「みんなFacebookに情報を上げなくなったからね。
 以前は、誰かがすぐに“○時○分に○○通りで爆発!”とか情報を流してたけど
 今はどこで何が起きたか、あまりみんな投稿しないようになったの。

 PDFを守るためだよ。
 彼らに逃げる時間を与えるためには、情報は遅い方がいいの」

リーダー不在のミャンマーで、こんな風に人々の間で合意がなされ
ゆるやかに団結してひとつの方向に向かっていくのは、
とてもミャンマー市民っぽい感じがする。

こちらもザガイン、モンユワ地区。
 
抑圧された社会の中でも、諦めずに行動し続ける人々が、反軍政運動のエンジンを回し続ける。
(Myanmar Now/Facebook)

ヤンゴン郊外で暮らす友人は、
そういえばね、とイタズラっぽい表情で付け足す。

「私の町では、警察の中に民主派がかなり混じってるんだよ。
 彼らは警察官として働きながら、内部情報を市民にリークするの。
  “いま兵士たちがどの道を通ってどこに向かったぞー” とかね」

えー、それってバレたらやばいやつだよね? 

「もちろんよ!でも、これはどこも同じなの。
 たとえば軍政府から各省庁への情報も、軍は絶対に秘密にできない。
 CDMをやめて職場に戻った公務員たちが、流出させるから。
 部外秘!と書かれた文書が、その日のうちにFacebookに載るんだから、笑えるよね」

ひとしきり、スカッとするような話を終えると、
ひとりが少し曇った表情をして、困ったように笑った。

「毎日いいことも悪いことも、色々あるよね」

「どこかの町でPDFが勝ったと聞いて、喜んで友達に電話すると
 その友達はそのとき、故郷の村で知り合いが拘束されて悲しんでいたりする。
 毎日、毎時間、嬉しかったり悲しかったりしてるよ」

道端で見かけた落書きコーナー。
 
トリコロールカラーで目立っていたからか、あっという間に塗りつぶされてしまった。

一見変わらない日々の水面下で、反軍政を貫き、闘う人々。

ただ、その闘いが、果たして軍を追い詰めているのか、と考えると
何となく、また閉塞感が戻ってきてしまう。

たとえばD-dayの直後から、勢いを増した地方のPDFたちが
軍系の通信社Mytel(マイテル)の電波塔を次々と爆破した。 

D-dayから数日後に「もう100基近く倒したんだよ」と聞いて、すごい!!と高揚したのだけれど、
冷静に考えれば、いくら電波塔を倒したところで軍政は倒れない。

ネピトー(首都)の軍政府が息絶えなければ、この軍政は終わらないのだ。
そこに近づいているのかどうかが、私には見えない。

あるビルマ族の知人は、はっきりとこう言った。

「PDFがどんなに命がけで闘って、兵士を何百人殺しても、
 ネピトーには何の影響もない。痛くもかゆくもないだろう。
 ミンアウンフラインは、PDFの命も兵士の命も、何とも思ってないよ」

でもね、と彼は続ける。

「それでもPDFが闘い続けなければ、軍政に立ち向かう人がいなくなる。
 ミャンマー中の人々の「軍を倒すぞ」という希望がなくなる。

 希望がある限り、人々は反軍政の気持ちを絶対に忘れない。
 PDFだけでは、勝てないかもしれないけれど
 それでもやっぱり彼らは、希望なんだ。

 僕たちは必ず勝つよ。時間はかかるかもしれないけど、必ず。
 だからそれまで僕は、PDFの支援をやめない」

===
別の友達は、笑いながらこう言った。

「私、PDFが武器を買うためにたくさん寄付したから、
 今まで善行で積んだ功徳がパーだわ。ははは」

やくざな仏教徒の物言いに、思わず吹き出す。

彼女はクーデターの前から、貧困者の食糧支援などを続けている。
誰か困っている人がいると見るや、すぐに手を差し伸べる。

同じ寄付でも、やっぱり武器だと功徳にはならないかね、なんて笑っていると
彼女は、ふと落ち着いた声に戻ってこう言った。

「民主化したらさ、いつか寄付なんていらなくなるよね。
 寄付の文化なんてなくなるくらい、みんなで豊かになれたらいいよね」

こちらは今も裏通りに残っている。
 
We want Democracy.
シンプルで力強い願い。

民主主義がなくなった国で、戦いが続く国で、思い描く未来。

一人ひとりの小さな希望や、PDFに懸ける願いが、
閉塞した現状の中でも、心に光を灯してくれる。

必ず軍は崩れる。必ず自由が戻る。
誰かと話をするたび、どちらからともなく合言葉のように、そんな言葉を交わす。

人々が希望を捨てない限り、必ずまた強い風が吹く。

がんばれ、ミャンマー。
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、前を向く。