日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長死去
【国際】【政治】
2024 年 8 月 06 日
日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長が7月31日、千葉県内の病院で亡くなったことがわかった。90歳だった。葬儀は近親者で営まれる予定。喪主は同協会の常務理事・事務総長で長男の祐介氏が務める。
渡邉氏は新潟県栃尾市(現在の長岡市)出身。拓殖大学卒業後、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏の秘書を経て、1976年に衆議院総選挙に出馬し初当選。その後衆議院議員を6期、参議院議員を2期務め、内閣官房副長官や郵政大臣などを歴任した。
2012年に日本ミャンマー協会を発足させ会長に就任。昨年2月には、ミャンマーの発展と平和に貢献したとしてミャンマー軍評議会(SAC)から表彰された。
渡邉氏は以前、MYANMAR JAPONのインタビューで、民主化されたミャンマーについて「今後重要になるのは人材の育成。未来志向で信頼関係を継続させたい」などと語っていたが、2021年のクーデター後は一貫して国民を虐殺するミャンマー軍のミン・アウン・フライン総司令官を支持。在日ミャンマー人やミャンマーの民主化を支援する団体から猛反発を受けていた。
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