医師
キン・ゼッ・ヤー・ミン

ミャンマー出身で都内在住の医師、キン・ゼッ・ヤー・ミンさんも、MIAO正会員のお一人です。
幼い頃から抱いていた母国への「疑問」と、MIAOに参加したきっかけをお聞きしました。

中原平和公園で開かれたアウン・サン・スー・チー氏の誕生日チャリティーイベント。キンさんは同種の催しにボランティアとして多数関わっている

ミャンマーの教科書に書かれた勝者の歴史
名ばかりではない「真の連邦制」を樹立すべき

 2008年に日本外務省の奨学金プログラムで来日して以来日本在住ですが、それまではミャンマーで育ち、ミャンマーで教育を受けてきました。

 初めて母国の歴史を学んだのは小学生の時ですが、その頃からミャンマーの体制に疑問を感じていました。1962年、当時の国軍最高司令官であるネ・ウィンによる軍事クーデターが発生。ビルマ式社会主義政権が誕生し、真の「連邦制」を希望する民族らを「連邦共和国から離脱を求める反乱者」として弾圧し始めました。しかし、教科書にはこれらの歴史を正当化する文言が書き連ねられていたのです。その後、他の視点から書かれた歴史の本を読んだり、ビルマ族以外の民族の人々から話を聞いたりするうちに、ミャンマーの教科書は勝者の記録に過ぎず、国民はそれによって洗脳されてきたことを知りました。

 ミャンマー軍はそのように国民を操作しながら、半世紀以上にわたって国境沿いに住む民族などに対して残虐行為を繰り返してきました。そしてクーデター後は、抗議デモに参加した学生たちに暴力を振るったり、若者の頭部を銃撃したりするなどの暴挙に及んでいます。自分も親であるため、子どもを失った親たちの気持ちを思うと涙が出てきます。いつの日か、ミャンマー軍は正式な処罰を受けなければなりません。

 NLD政権以後のミャンマーは決して順風満帆ではありませんでした。経済面の発展が思うように進まなかったという指摘もありますし、2008年のミャンマー連邦共和国憲法によって国軍の政治的関与が保証されていることで、政治的膠着状態に陥っていたことも事実です。しかし、あの時代、人々は確かに恐怖から卒業し、基本的人権と民主主義を謳歌していました。ミャンマーは再び、民主主義を取り戻さなければならないのです。

 MIAOへの加入を決めたのは、2つの設立目的に賛同したからです。1つ目の「ミャンマー軍を通すことなく、必要なところへ支援を届ける」ことは、喫緊の課題と言えます。ぜひ継続して行ってほしいと思います。

 そしてもう1つの目的である「民主化支援」にも期待します。ネ・ウィン政権以降の名ばかりの連邦制ではなく、真の連邦制多民族国家の樹立に向けた後押しをしていただければと考えています。

キン・ゼッ・ヤー・ミン [Khin Zay Yar Myint]
ミャンマー出身の医師。2008年、日本外務省による奨学金プログラムで来日。東京日本語教育センターで1年間日本語を学んだ後、東京大学大学院医学系研究科国際地域保健学の修士課程に進学。卒業後は都内医療系コンサルタント会社に勤務するかたわら、在日ミャンマー青年学生団体の立ち上げに関わり、多文化交流や社会貢献活動に携わる。クーデター後は、軍に抵抗する医療従事者を支援する活動などを続けている。

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