日本在住17年目のミャンマー人が見たクーデター

国軍に向けられた手づくり猟銃

「次に同じ過ちをしたら、その矢で俺を殺して良い」と一本の矢を渡して謝る文化がチン族にあります。チン族は過ちを正々堂々と認める純粋さと戦いとなれば命を捨てても仲間を守る勇敢さを兼ね備えている方々です。

カレイ市、ミンダット市では、仲間を守る一心で猟銃を持って市民防衛隊に加わって国軍と戦いました。相手の国軍兵士は、数百人の死者を出すという痛手を負いました。

なぜ今まで国軍との戦闘がほとんどなかったチン族が国軍との戦いに加わったか、経緯を見てみましょう。

チン族とは
チン族の住民は、200年前から変わっていない生活をしていると言われています。山地農業、狩猟や魚をとり自給自足の生活を送っています。チン州には、様々な少数民族が暮らしています。年に一度しかシャワーを浴びなかったり、全く浴びない部族も存在します。

また、猟師として生計を立てている人が多く一軒に一丁の猟銃を所有しています。山岳地帯での行動にも慣れていて、8割以上の男性は猟師をしているとも言われています。戦いの部族であり、仲間を大事にして戦士を敬う文化があります。

チン州はミャンマーの西北に位置し、インドとバングラデシュに接しています。世界銀行による格付けでは、ミャンマーの中で最も貧しい州として認定されています。2014年の調査では、およそ48万人が暮らしています。面積の9割は山岳地帯で、資源もなく交通が不便。登山用のウィンチがついていない車では到達できない地域も少なくありません。出稼ぎする人が最も多い州でもあります。

国軍との戦いに加わった理由
2月1日のクーデター以降の国軍による一方的な暴力を受け入れられなかったというのが理由です。全国の若者がスリングショット(パチンコ)で対抗しているのを見て、銃を持っている我々は戦わずにはいられないと地元の猟師はいいます。

もし、2010年以前にクーデターが起きていたとしたら、チン族は国軍との戦闘に加わっていないかもしれません。1962年以降のクーデター後、戦いに優れた多くのチン族部隊は解体されました。国軍から見て、チン州は敵でも味方でもなく、資源もない地域ということもあり長らく放置されてきました。

民主政府が誕生した2010年以降に発展し、2015年以降には車やバイクも増えました。24時間電気が点くようになり、インターネットが開通し、市場や病院、大学なども整備されました。Help And Hopeプロジェクトで活動するササ医師の主導により、2018年には初めての空港ができました。ヤンゴンまで90分で辿り着けるルートが開発されたのです。

それまでは、車では到達できない地域が大半でした。新聞は一週間ほど遅れで届きます。市民のほとんどは中卒で、ヤンゴンやマンダレーの大学に進学できる人は数えられるぐらいしかいません。

2015年以降、スー・チー政権で初めてチン州向けの予算が編成され、生活や交通のインフラが整備され始めました。この不当なクーデターは、ようやく最貧の州が発展し始めようとしている矢先に発生したのです。豊かな生活が始まるのを目前として、やるせない気持ちでいっぱいだと現地の住民は言います。

戦いの始まり
3月に入ると、国軍の弾圧は強まり若者が命を落としはじめました。そのタイミングで、猟師たちは若者の防衛隊に加わりました。誰かに誘われたわけでもなく、誰かから圧力がかかったのでもありません。ただただ「仲間を守りたい」という一心で行動につながったのです。いつもの狩猟スタイルで猟銃、弾薬、食事と水を持って参戦しました。

時代遅れの猟銃は弾の補填に時間がかかるため、一発一発を大切に撃ったとCDF(チン州防衛隊)に参加した猟師は言いました。ミンダット市は急勾配地で地形的も有利です。ミンダット市での戦いでは周辺村の住民も含めて1,000人以上の市民が防衛隊に加わりました。

地形や猟師たちの攻撃を予想していない国軍は、大きな打撃を喰らいました。国軍は、100mm以上の重砲やヘリなどで応戦しました。それでも歯が立たず、最終的には市民を「人間盾」にする残虐な行為をしました。

人数では圧倒的な差で国軍を制することが出来たとしても、第1次世界大戦時レベルの武器では国軍には勝てません。弾薬が底をつくと、有利な地形を使って周りにある石などを投げつけて応戦したと目撃者は言います。ミンダット市やチン州の戦いでは、国軍兵士が大雑把に計算しても300人以上戦死しています。

市民への影響
国軍は、市内の病院や学校、教会などもなりふり構わず攻撃しました。市民のほとんどは森に逃げ込み、町はゴーストタウンになりました。家畜は町中をうろついて餌を探し回っています。雨季に入り、森で暮らす市民の生活は過酷を極めました。薬を入手できずに7ヶ月の子供が風邪で命を落とこともありました。

6月の終わり頃、CDFと国軍が停戦協定を締結し、市民が帰宅できるような措置をとりました。しかし、国軍はそれを守っていません。CDFとの協定を無視し、検問の設置や支援物資の略奪を続けています。

戦いがいつ始まってもおかしくない状況です。

(続く)

テウインアウン
日本在住17年目のWebエンジニア
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