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【特集】 ミャンマー人、日本人、30人に聞きました! 「3年で変わったこと」

この3年は改革の3年

丸山市郎 氏
在ミャンマー日本大使館 公使参事官

新政権発足に伴い風通しのよいミャンマーに

井土光夫 氏
三菱商事ミャンマー総代表

1978年外務省入省、1981年在ミャンマー日本国大使館、1985年日米安全保障条約課、南東アジア第一課等、1992年在ミャンマー日本国大使館、1997年在米国日本国大使館、2002年在ミャンマー大使館、2006年より外務省総合外交政策局外交政 策調整官を経て、2011年より現職。外務 省きってのミャンマー通として知られ、ミャンマーの政財界に多くのコネクションを持つ。

これからも全力でサポートを!

長くミャンマーに携わってきた私の目から見ても、この3年はミャンマーが本当に大きく変わった3年であったと思います。
前政権であるテイン・セイン政権は、多くの政治改革、経済改革を実現してきました。そして、昨年11月には総選挙を見事に実施し、その選挙結果を踏まえて、平和裏に政権移譲を実現しました。その歴史的な業績に最大の敬意を表すと同時に、国民大多数の支持で誕生した新政権が、国民の期待に応えていくために我々日本政府としても協力していくことが重要だと考えています。もちろん私個人としても微力ながら協力は惜しまないつもりです。
本年4月、NLD政権が誕生しましたが、その前途はミャンマー国民のみならず国際社会からも大きな期待をもって注目されています。しかしながら、同時に貧困削減、経済発展、国民和解等々非常に多くの困難があるのも事実です。新政権がこの困難を乗り越えることが出来てこそミャンマーの明るい未来があると考えます。私たちもミャンマーの未来のために全力を尽くしていきたいと思います。

新政権発足に伴い風通しのよいミャンマーに

井土光夫 氏
三菱商事ミャンマー総代表

1959年生まれ、神奈川県出身。一橋大学卒業後、三菱商事に入社し、機械プラント畑を進む。1990年代から2度にわたりインドネシアに駐在するなど、アジアビジネスの最前線で活躍してきた。2012年にヤンゴン駐在事務所長、2013年からはミャンマー総代表に就き、今年で在ミャンマー5年目。2015年度にはミャンマー日本商工会議所の会頭も務め、日緬共同イニシアティブの開催にも尽力した。

一歩一歩着実に成長していくミャンマーを引き続き支援

3年前に比べ日系企業の進出数は大きく拡大しています。ティラワSEZでは全70社中日系が36社と半数以上。製造業の進出により、今までと違い実業を伴った日系企業が増えていき、ミャンマー日本商工会議所(JCCM)もさらに活性化することと思います。
ビジネス環境としては、2013年が経済政策(市場開放)への第一歩だったといえるのではないでしょうか。この頃から外国投資法等の法制度も整ってきて、外資が投資しやすい環境になってきました。SEZ法も併せて改正され、昨年ティラワSEZも開業し、ビジネスのプラットフォームがようやく出来上がりました。
生活面に関しては、弊社は当初日本人駐在員がわずかに1名だったのですが、現在は30名以上に増え、以前は教育・医療面での心配もあり単身が多かったのに比べ、約半数近くが家族帯同となっています。生活環境が安定してきたといえます。特に産業育成のためには若い力が必要で、20代~40代までの中心を担う人材が赴任して来るようになったのではないかと感じています。
また、弊社はCSR活動の一環として中央乾燥地帯の農民の支援を積極的に行っておりますが、これからは第2次産業の誘致が重要になると思います。経済発展には輸出や国内事業を伸ばすことが必要です。農産物については、現状では付加価値のない農産物の売買がほとんどで、これらをいかに付加価値のあるものにして外国に輸出していくかが鍵となるでしょう。
新政権になって、JCCMとして何度か会合を持っていますが、各省庁の風通しがとてもよくなったと感じます。次官や局長クラスが積極的に発言し、様々な話が通りやすくなりました。特に日本のサポートを大いに期待しているのを強く感じます。今後はヤンゴンだけでなく、マンダレー国際空港の運営を基点として、マンダレー地区の発展に取り組んでいきたいと考えています。ミャンマーをヤンゴンのみの点としてとらえるのではなく、いかに線でつないでいけるか、官民挙げて取り組んで行きたいと考えています。
この3年はめまぐるしく環境が変わりました。今後もさらに加速がついていくと思います。弊社は長い目でビジネスを考えています。焦らず急がず、今後もミャンマーのためになることを一歩一歩積み重ねていきたいと思います。

3年で経済はアップ

テーアウン 氏
サクラトレードセンター会長

10代後半からビジネスに関わり、1981年に日本に渡航。家電・バイク等の貿易事業を手がけ、財を築く。1993年にサクラトレードセンター社を設立し、ミャンマーの自動車市場に参入。日本からの留学帰国者たちによって組織されるボランティア団体「SEDA」を創設し、スポンサー役を担う。2014年にYCDCに立候補して当選、開発委員長としてビジネスで培った手腕を振るった

今後は日本の支援で将来を見据えた計画に期待!

2011年の前政権発足から経済が上がってきたと感じています。国民の期待も高かったと思います。ただ、法律や実際の行動がなかなか伴いませんでした。2014年の終わりまでは建設等の拡大や会社員の給料アップ等景気が上向いてきましたが、2015年半ば頃から選挙の影響もあり、少し失速したように感じます。この間、慢性的な交通渋滞に伴い、ヤンゴン市開発委員会(YCDC)の開発委員長として、ビルやコンドミニアムの建ぺい率を変えるなど様々な対策を講じてきました。新政権では建築に対しての法律がさらに厳しくなると思います。
3年の間に日系企業が大小、本当にたくさんミャンマーにやってきました。また、日本政府からの支援で観光、教育、インフラ等が整ってきています。水道の整備も2030年までのプランを立て、今後進んでいく予定です。ヤンゴンの人口は現在700万人、2030年にはその倍になると予測され、必要な水も増えてくることから、今回の計画になったと聞いています。今後も10年後、20年後に何が不足し、何が必要になるか将来を考えたプランが実行されていくことと思います。
先日YCDCを退任して、今後は会社の仕事に尽力していくつもりです。手始めに現在、需要が増えているセメントミキサー車やごみ収集車等の商業用車両のボディ製造に着手しています。ただ、現状ではこの分野での製造についての法律に前例がなく、申請に非常に時間がかかっています。ミャンマーはこれから、自国のみでなく、外国を知ることが必要だと思います。様々な分野の専門家に意見を聞き、外国での制度を勉強していく必要があるのではないでしょうか。

日系の進出とともに広がったビジネスチャンス

トゥーレイン・アウン(クリストファー)
ダゴン・インターナショナル CEO

英国でビジネス情報マネジメントとファイナンスの学士取得後、2002年に親族の経営するビジネスに参画。短期間でダゴングループのビジョンを理解し、ダゴングループ全てのビジネス戦略と拡大計画を自身の主たる役割と責任として掲げる。グループ内新事業の立上げや日系企業との提携等にも注力。複数のグループ子会社やジョイントベンチャーの取締役。2015年11月、グループCEOに就任。様々なビジネス分野の発展にも力を入れ、ミャンマー商工会議所やミャンマー若手起業家協会の執行委員として活動するほか、ミャンマー・ティラワSEZホールディングスの副代表兼プロジェクトディレクターも務めている。

農業を核とした新たなビジネスを

2011年の前政権発足から2年間はいろいろな調整や話のみで何も変わらず、ここ3年でやっと動き出した感じがします。特にティラワSEZは全く何もない野原から昨年の開業までと、この3年で劇的に変わりました。5月には株式も上場し、その株価に国民からの大いなる期待を感じています。始まったばかりで様々な問題もありますが、1つ1つ解決して今年7月の第2フェーズを迎えたいと思っています。
この3年で日系企業や日本製品をはじめ、様々な外国資本がミャンマーにやってきました。弊社としては、この3年で特に日系企業との提携が大きく広がりました。初めはトヨタ自動車の販売代理店として、その後、エースコック等の販売代理をしたり、物流や建機レンタル、道路建築等様々な分野で提携が広がりました。日系企業と提携することによって国際水準の経営スキルを手に入れることができ、それがイメージアップにも大いにつながっていると思います。今も新たな日系企業から様々なオファーをいただき、非常に仕事を進めやすくなりました。
ただ、現在のミャンマーは経営者レベルとしては、この3年で考え方やビジネススキル等、国際水準に近づいてきたと思いますが、現場レベルがそこに追いついていくにはもう少し時間がかかりそうです。いい意味でも悪い意味でも「変わらないのは人間」。人の考え方が変わっていくには時間がかかると思います。
そんな中、弊社として今後注力していくのは、今のミャンマーで最大の強みであり、新政権の3つの柱の1つでもある「農業」だと考えます。ゆくゆくは日本の大田市場のような野菜やフルーツ専門の市場を立ち上げ、そこで国内外の流通を担っていくことができれば、ミャンマーの農業が変わっていけると思うのです。鉱物は採ってしまえばそれまでですが、農業は新しく育てることができます。そのために更なる日系企業との提携を広め、日本品質の世界に通じる農業製品をミャンマーから発信していこうと考えています。既にグループ内に当該事業のための企業を立ち上げており、ゆくゆくは出資を集めるため上場していきたいと考えています。
この国の改革はまだまだ始まったばかり。この3年、そしてさらにこれからの3年、大きく変化するミャンマーを自分の足で歩んでいきたいと思います。

おかげさまで3周年

おかげさまで、ミャンマージャポンはこの7月号で創刊3周年を迎えることができました。まだまだ日本語の情報が少なかったミャンマーで、2013年6月に創刊したミャンジャポは3年間、ミャンマーの発展とともに歩んできました。「ミャンマーはこの3年ほどの間でものすごく変わった」とよく聞きます。確かに自動車の数は増えて道路はしばしば大渋滞。街を歩いてビルの建設ラッシュを目のあたりにすれば、経済発展著しいミャンマーの息吹を感じられるでしょう。
ということで、今回の特集では「3」にこだわり、ミャンマー人、日本人、それぞれ30人に「3年で変わったこと」を聞いてみました。もちろん、みなさんそれぞれ感じ方は違うでしょうから、社会的なことでも個人的なことでも何でもよしとしました。

ミャンマー人30 人の回答から

やはり「新政権ができた」「新大統領が誕生した」など政治について回答した方が目立ちました。昨年の総選挙以来、世界的にも連日ニュースで取り上げられたこともあり、約半世紀ぶりの文民政権誕生はミャンマーの方々にとって喜ばしいことだったようです。今回、ミャンマーの若者たちに聞きましたが、政治への関心は日本人の若者よりも高いという印象を受けました。=[1]

政治とともにインフラについての回答も多かったです。「陸橋が多くなった」ために、工事中は渋滞がひどくなったようでしたが、出来上がってしまえば便利ですね。=[2]

「気温が高くなった」。今年は例年よりも暑かったですね。水祭りのころの気温は連日40 度超えが当たり前で、気温の表示を見るだけでいやになってしまいました。=[3]

日本人30 人の回答から

「年とった!!」などの個人的な回答は置いといて(笑)、やはり日本人側も12人の方がインフラについて回答がありました。こちらはミャンマー人よりも、どちらかというと苦情のニュアンスが強いようです。

「ロンジー姿が減った」。こんな姿もあと数年で見られなくなるかもしれませんね。=4

「ミャンマー人女性の髪の色」。やはり日本人男性は見ているところが違います。ただミャンマー人男性の髪の色も変わっているようですよ。=5

面白い回答だったのは「電話のおばちゃんがいなくなった」。昔は街に電話機を置いて、お客が電話を掛けると時間を計って電話代を取っていた公衆電話屋のおばちゃん(に限りませんが)が確かにいました。この回答を周りで見た方々は、「いた、いた」と相槌を打っていました。MPTに聞いたところ、携帯電話やスマホの普及で、SIMが1500チャットまで値下がりした2014年中に公衆電話屋は運営を終了したとのことでした。

最後に「日本人カップル増加中」だとか。おめでとうございます。