「不屈の精神」日本初の女医 荻野吟子

 皆さんは、荻野吟子医師をご存じでしょうか?実はこのたび、令和4年度「埼玉県荻野吟子賞」の大賞を受賞させて頂きました。医学界では有名な彼女の名前を冠した賞を頂けたことは、本当に光栄です。

日本初の公認女性医師

 彼女を表現するときに、よく「不屈の精神」という言葉が使われます。

 嘉永4年(1851年)、幡羅郡俵瀬村(現在の熊谷市)に生まれた彼女。女性は結婚して子供を産み育てるのが役目という時代でした。18歳の時に結婚しましたが、夫から淋病をうつされたことがきっかけとなり19歳で協議離婚をしました。治療のため2年近くにわたり入院した彼女は、病気で同じように苦しむ多くの女性がいる現実を知ります。そして、日本初の女性医師になることを決意し、奮闘が始まったのです。

 女性が医師になることが許されなかった時代。しかし彼女の強い意志と熱意に共感し、多くの支援者が現れました。31歳の時、私立の医学校を優秀な成績で卒業しました。しかし、当時の東京府は医術開業受験を認めず、内務省に請願書を提出するも却下されてしまうのです。それでもあきらめず、ついに34歳で日本初の女性医師になります。その後、63歳で生涯を終えるまでの間、保健衛生知識の普及や女性の地位向上に貢献したのです。

 何が彼女をそこまで突き動かしたのでしょうか。目の前で苦しんでいる人たちを助けたい一心だったのではないか、私はそう思います。

住民の“命”を育み、夢を繋ぐ

 MFCGも2012年に設立してから昨年で10周年を迎えました。当初、ここミャウンミャには友人も知人もおらず、ミャンマー語もわからず英語が通じる住民も皆無でした。たった一人、文字通りゼロからの立ち上げだったのです。

 2008年にミャンマーを襲った大型サイクロン「ナルギス」。10万人以上もの犠牲者が発生し、被害が最も甚大だったエーヤワディ地域に住む人々の自立(自律)をサポートしたい、という思いで始めたのです。しかし、想像を絶するほどの苦労が連続しますが、皆さま方のように応援してくださる人々が少しずつ現れ、おかげさまで現在も現地住民と協働し活動を継続しています。

 ミャンマーの僻地で16の無医村(政情変化により12村へ減少)を巡回し、「村の住民の“命”を育み、夢を繋ぐ」ことを一緒に行っています。

 私たちは2つの柱で活動しています。1つ目は、手洗いの重要性や正しいうがいの方法、そして、歯磨きプロジェクト。さらにトイレ設置の必要性などの保健衛生啓蒙活動全般です。2つ目は、有機野菜を栽培するコミュニティガーデンを一緒に作り、「生きる・活きる」を目指しています。

2023©MFCG

 これまでは、住民の自立をサポートするために魚の釣り方は教えても「魚を与える」という活動はしてきませんでした。しかし、政情が激変したことの影響は大きく、村の生活状況はひっ迫しています。MFCGは、このコミュニティガーデン事業に力を入れ、暑季でも水が手に入るように井戸と大きな貯水タンクの設置などを2つの村で行う予定です。

 私たちの挑戦はこれからも続きます。私も荻野吟子医師に負けないようこの苦難を乗り越える覚悟ですので、ぜひより多くの皆さまに仲間になっていただければ幸いです。

(2023年4月号掲載)

名知 仁子
[NACHI SATOKO]

1963年生まれ。1988年獨協医科大学を卒業後、日本医科大学付属病院第一内科医局入局。2002年、国境なき医師団に入団し、同年タイ・メーソートの難民キャンプ、2004年からはミャンマー・ラカイン州で医療支援に携わる。また、2003年には外務省のODA 団体、ジャパン・プラットフォームの要請で、イラク戦争で難民となったクルド人の医療支援に参加。2008年には、サイクロンで被災したミャンマーのデルタ地域で緊急医療援助に参加する。同年、任意団体ミャンマークリニック菜園開設基金を設立し、2012年6月にNPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(現MFCG)設立、現職。

ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会:https://mfcg.or.jp/