【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<2018年3月号>KMD 会長 タウン・ティン氏

今回のテーマミャンマーのICTニーズに幅広く応える企業

タウン・ティン氏 [Mr.Thaung Tin]

KMD Co., Ltd. 会長
ミャンマー最大規模のICT企業、KMDの会長。UMFCCI(ミャンマー商工会議所連盟)の副会頭も務める。
2012年8月から2016年3月まで情報省の副大臣を務め、ミャンマーにおける通信市場の自由化の促進などに尽力。過去にはミャンマーコンピュータ連合事務局長やASEANビジネス諮問委員会ミャンマー代表などの要職を歴任している。

日系企業との縁も深く日本政府が関わる電子通関システムの運営にも貢献

コンピュータ教室からICTニーズ全般を請け負う企業へ

永杉 本日は大手ICT系企業KMD社のタウン・ティン会長にお話を伺います。早速ですが、会社設立の経緯についてお聞かせください。

タウン 1980年代、コンピュータ系大学の講師の職に就いていた頃、論文を執筆するためにパソコンを購入しました。当時はパソコンが珍しく、購入した途端に多くの人が使い方を教えてほしいと私の元を訪れたため、パソコン教室を開いたのがきっかけです。当時はチーミンダイ地区(Kyi Myin Daing)に住んでいたので「KMDコンピュータ教室」の名前で親しまれ、次第に生徒数が増えてきたことから教室運営に専念することにしました。92年には愛称であったKMDの名前で法人化。後年シンガポールで会社設立をすることになった際に「Knowledge(知識)、Management(マネージメント)、Dedication(献身)」の頭文字に社名の由来を変更しました。

永杉 有名なKMD社の名前の由来が、まさか地名であるKyi Myin Daingだったとは思いもよりませんでした(笑)。ところでKMD社の現在の業務内容をお聞かせいただけますか。

タウン フランチャイズ制度をとっており、全国に140校を有しております。現在はイギリスの大学などと提携し、学士授与証明書の発行も行えるようになっています。これまでに当校で学んだ生徒は100万人を超え、学士を取得した人数も5,000人以上になりました。
コンピュータの輸入販売も行っています。当初は教室の備品目的だったのですが、生徒から代理購入を依頼されることが増えたため、95年頃から事業化しました。アメリカや台湾のほか、NEC や東芝、富士通など日本メーカーの製品も取り扱っており、我が国のPC代理店の中でもトップクラスの規模と自負しております。
また、当社はCSR活動を非常に重視しています。地方の寺子屋に中古PCを寄付するほか、社員の献血を奨励するなど、対外的な慈善活動はもちろんですが、社員の育成や健康管理に加えて、社員の家族にまで温かい目を向けるなど、社内に向けた企業の社会的責任を果たすことも大切という信念のもとで会社運営を行っています。

永杉 法人化からおよそ25年という年月が経ちましたが、今後の発展に向けたビジョンをお話しください。

タウン ハードの手配だけでなく、システム構築やコンサルティング業務まで、ICTニーズに余すところなく応えることです。将来はサーバーやデータセンターなどの分野にも進出を予定しているほか、ビジネスユースのクラウド環境構築にも手を広げていきたいと考えています。
日本政府とJICAの協力のもとで行われている電子通関システムのプロジェクトに弊社が深く関わっております。システム構築はNTTデータが行いましたが、ハードの手配や、メンテナンスなどは弊社が行っています。また、関税事務所にスタッフを10名ほど配置し、24時間体制でシステムが円滑に動くよう目を光らせております。

人材問題は国の重要課題 各方面の対応が求められる

永杉 現在のミャンマーは目覚ましい経済発展を遂げる一方、インフレや所得格差、人材不足などの問題が指摘されています。また、私どもの関連会社は人材紹介も行っておりますが、キャリアアップではなく単にジョブホッピングをしている人材も多く見受けられます。これらに対する考えもお聞かせください。

タウン ミャンマーはインフレ問題を長年抱え続けてきましたが、現在はかなり落ち着いてきました。金融問題は基本的に中央銀行が対処すべきことですが、軍政期は中央銀行に大きな権限が与えられていませんでした。しかし、民政移管後は正常化し、IMF や世界銀行などから支援をいただけるようになりました。もちろん日本からも多くの手助けをいただいています。今後、さらなる改善が見込まれますが、すぐに解決する問題ではありませんので、もう少し長い目で見守る必要があるでしょう。
人材に関しては、国を挙げて考えていかなければならない問題です。例えば大学では理論的な授業に重きが置かれているため、卒業後すぐに実務に携われる人材が育たないという問題を抱えています。かつては採用した人材を企業がじっくりと育成する風土がありましたが、現在は即戦力を求める考えが強く、経験者を高給で引き抜くことが増えています。ジョブホッピングが多くなったのはこうした背景があると思われます。国も積極的に関与して、実務を教える教育のあり方を模索すべきでしょう。
労働者が働きたくなる環境を企業が作ることも大切です。給与待遇だけでなく、業績に応じた手当の充実なども考え、会社の発展のために力を尽くそうという思いを抱かせなければいけません。
一方、労働者側も意識を変革する必要があるでしょう。まずは「ジョブ」と「キャリア」の違いを認識すべきです。目先の給料にばかり目を向けていると一つの会社に留まらなくなるため、仕事が分断されがちでキャリアアップが難しくなってしまいます。これは将来、プラスには働きません。
このように、教育、企業思想、労働者思想のすべてを変えていくことが、今のミャンマーに求められていると考えています。

長年根を張る日系企業がミャンマー人の信頼を深めた

永杉 日本との関係についてお聞きします。代理店として日本のコンピュータを輸入されているとのことですが、日本製品や日系企業の印象はいかがですか?また、ミャンマーと日本には歴史的に見て非常に深い縁があります。将来、両国の関係はどのようになっていくとお考えでしょうか。

タウン ミャンマーの政府、国民ともに日本に対してはよいイメージを抱いています。日本製品ならば品質がよい、サービスもよいので信用できるというのが共通認識だと思っています。ビジネスの現場においても、日系企業と協業する場合、時間はかかってしまいますが安全で確実な仕事を行えると考えています。
永杉さんのおっしゃる通り、両国は大変古くから深い絆を築き上げてきました。日本は官民ともに我が国をサポートし続けてくれています。ミャンマー政府に対するサポートが難しい局面でも、国民に対する支援を継続してくれましたし、経済がうまくいかない局面でも日系企業は簡単に撤退という道を選びませんでした。これは他国の外資系企業との大きな違いです。進出から半世紀を超えるような日系大手企業が複数あるのはその証明でしょう。こうした事実が積み重なったことで、ミャンマー人は日本が常に我々の味方であると考えられるようになりました。日本とミャンマーの関係はさらなる発展を遂げることでしょう。

永杉 日本や日系企業に対してそのような信頼感を持っていただいていること、大変うれしく思います。今後もどのような局面になっても、両国が手を取り合って発展していけるよう、私も全力を尽くしていきたいと思います。本日はお忙しいなか、ありがとうございました。

永杉 豊[NAGASUGI YUTAKA]

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
ビジネス情報誌「MYANMAR JAPON BUSINESS」、「MJビジネスバンコク版」、ヤンゴン生活情報誌「ミャンジャポ!」など4誌の発行人。英語・緬語ビジネス情報誌「MYANMAR JAPON+plus」はミャンマー国際航空など3社の機内誌としても有名。日本ブランドの展示・販売プロジェクト「The JAPAN BRAND」ではTV番組を持つ。ミャンマーの政財界や日本政府要人に豊富な人脈を持ち、ビジネス支援や投資アドバイスも務める。 一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員、WAOJE(旧和僑会)ヤンゴン代表。