【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<2016年6月号>ヤンゴン管区首相 ピョー・ミン・ティン 氏

民主化運動の闘士、ヤンゴン新政権の経済政策を語る

ヤンゴン管区首相1969年生まれ。ヤンゴン大学在学中の1988年に民主化運動に参加。学生リーダーとして活動するが、1991年、逮捕されインセイン刑務所に投獄される。投獄中の2004年、父を亡くす。2005年に釈放。2009年に結婚。2010年、自宅軟禁から解放された国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏の下で、青年・教育部会の責任者となる。2012年、議会補欠選挙で下院議員に当選。NLD中央委員会のメンバーとして、広く教育、経済などの政策に関わる。2015年、NLDが圧勝した総選挙で再選。NLD新政権で、今年4月から現職。

ヤンゴン管区の引継ぎは順調
JICAの計画をもっと具体的に

永杉 ティンジャン(水かけ祭り)の休みの期間中にも関わらず、貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。新政権になってネピドーでは順調に政権移譲が進んでいますが、ヤンゴン管区内の引継ぎはいかがでしょうか。

ピョー ヤンゴン管区では、3月31日午前11時に前政権が業務を全面的に停止しました。4月1日から私たち新政権が引継ぎましたが、管理運営は順調に進んでいます。

永杉 現在のヤンゴン管区の問題点は何でしょうか。また、それらは今後どのように解決していくのでしょうか。

ピョー ヤンゴン管区の人口は700万人ほどで、ミャンマー経済の中心地です。外資も多く集まってきており、今後はミャンマー人の雇用拡大が重要課題です。
都市問題については、車の渋滞や無秩序な駐車、上下水道の未整備、さらに路上販売など解決しなければならない問題が山積しています。これらの問題は一つずつバラバラに解決するものではなく、それぞれが関連しており、解決するためには全体的なマスタープランが必要です。

永杉 日本国際協力機構(JICA)が、戦略的な開発計画(マスタープラン)を作っています。この点についてはどのようにお考えでしょうか。

ピョー マスタープランには大変感謝しております。しかしながら、例えば渋滞を解決するためのバス高速輸送システム(BRT)の導入と書かれていますが、そのシステムをどのように作るかについては明記されていません。先日、樋口建史・在ミャンマー日本大使とお会いした際にも、より具体的な計画になるよう見直しをお願いしました。

永杉 現在、ヤンゴンには様々な外国の開発援助機関が来ています。例えば韓国国際協力団(KOICA)の開発計画では、ヤンゴン川の対岸にあるダラ地区に橋を架けハイウェイを作る計画があります。しかしJICAではティラワ経済特別区(SEZ)の開発を進めており、ティラワを結ぶハイウェイを作りたいのですが、各国の計画が一致していないという問題点があります。

ピョー 前政権の時代、JICAとKOICAの双方から開発計画を提案してもらいましたが、今後は調整していきたいと思います。例えば、ダラの橋の異常な高さをどうするか。現在のティラワ港は水深が浅く、大型の船舶が入港できないので、さらに奥にあるヤンゴン港を使うしかありません。しかし、ティラワ港の水深を深くすることができれば、ヤンゴン港まで大型船が寄港しなくてもよくなり、ダラの橋の高さも低く済むのです。

15年間の投獄  スー・チー氏を模範として耐えた

永杉 首相はヤンゴン大学の学生時代に、学生運動のリーダーとして活躍されましたが、逮捕投獄されました。また、その間にお父様を亡くされているようですが。

ピョー 1988年に、ミャンマーの専制政治を民主的な政治に改革したいという純粋な思いから学生運動のリーダーとして民主化運動に参加しました。1991年に逮捕され、刑務所に合計15年間投獄されました。当初5年だった刑期がさらに7年延長され、インセイン刑務所からバゴーの刑務所や、エーヤワディーの刑務所へ移動させられました。ヤンゴンのインセイン刑務所なら家族と会えますが、遠い刑務所では家族と面会することも難しくなりました。
投獄されて13年目、父が亡くなりました。家族は以前にも増して、経済的にも苦境に陥りました。獄中では、精神的に厳しい生活に耐えるために瞑想をしていました。スー・チー国家顧問兼外相も自宅軟禁中にご主人を亡くされましたが、彼女を模範として自分も困難に耐えました。現在、民主的な新政権が発足し、苦しかった自分の努力が報われた思いでとてもうれしいです。

永杉 スー・チー国家顧問兼外相を主人公にした「The Lady」という映画では、厳しいインセイン刑務所の様子が描かれていましたが、実際の刑務所と同じでしょうか。先日面談させて頂いたティン・ウーNLD最高顧問もインセイン刑務所に入っていましたが、まさにファイターですね。

ピョー 映画の中のインセイン刑務所はあくまでも映画のセットで、実際とはだいぶ違います。私はティン・ウー最高顧問のような真のファイターではありません。刑務所の生活は苦しいことばかりでした。自分が置かれている状況に耐えられなければ、頭がおかしくなってしまったでしょう。現状を客観的に理解し、気持ちを整理しなければなりません。
そしてこれは国を改善していくことにも共通する考えです。ミャンマーが置かれている状況は、自分が思っていたようにはまだなっていません。それをどのように解決して発展させるか、冷静に考えていかなければなりません。

信じ続けてきた新政権が実現 獄中で鍛えた精神力で改革を実行

貧困からの脱出 教育改革に力を入れる

永杉 ミャンマーは5人に1人の子供が学校に行けず、仕事をしているとの国勢調査の報告もあります。スー・チー国家顧問も教育には力を入れていますが、現在のミャンマーの教育問題についてはどのようにお考えでしょうか。

ピョー 貧困から抜け出すためには教育が一番大切です。教育改革では、小学校教員の能力向上、そして子供たち全員が学校に通えるようにすることです。親の貧困で学校に通えない子供は多く、このような状況を改善するために尽力していきます。

妻とは毎晩夕食を共にする 夜も仕事に励む忙しさ

永杉 2009年に結婚されています。毎日お忙しい中で、ご家族とはどのように過ごされていますでしょうか。

ピョー 子供はいませんが、妻と夕食だけはいっしょに食べるようにしています。その後はまた仕事に戻ります。昼間は会議などでとても忙しいので書類などは夜に読みます。先日まで国会にも出席していたので、なかなか時間がとれませんでした。しかし、妻の兄たちも全員、私のように民主化運動の学生リーダーで刑務所に投獄されたことがあるため、妻も事情をよく理解しサポートしてくれています。

永杉 ところで、メディアでは初めてのインタビューと伺っておりますが、なぜMYANMAR JAPONをお選びいただけたのでしょうか。

ピョー 日本の政治家やビジネスマン、ミャンマーの事業に関わる方たちに一番信用されているビジネス経済誌と聞いております。私は日本語は読めませんが、ミャンマー語版(MYANMAR JAPON +plus)はよく読んでいます。また、永杉代表を紹介してくれたティン・ウーNLD最高顧問の子息タン・ゼン・ウー氏は私の兄のような存在です。

永杉 本日はお忙しいところ貴重なお時間を頂き、またお褒めの言葉も賜りありがとうございました。今後ますますの首相のご活躍とヤンゴン管区の発展をお祈りしております。

MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
MYANMAR JAPON および英語・緬語情報誌MYANMAR JAPON +plus 発行人。日緬ビジネスに精通する経済ジャーナリストとして、ミャンマー政府の主要閣僚や来緬した日本の政府要人などと誌面で対談している。独自取材による多彩な情報を多視点で俯瞰、ミャンマーのビジネス支援や投資アドバイスも務める。ヤンゴン和僑会代表、一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。