【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!|日本語情報誌 ミャンマージャポン

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【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉がミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<第34回>NLD最高顧問 ティン・ウー 氏


NLD新政権の経済政策


NLD最高顧問 1927年生まれ。第二次世界大戦中にビルマ軍に入隊し、1974年国防大臣に昇進。しかしその後解任され、それを不満に思った若い将校たちによるクーデタが起こり、その責任により終身刑判決を受ける。1980年に恩赦により釈放。1988年アウン・サン・スー・チー氏と国民民主連盟(NLD)を結党した。1989年スー・チー氏と同時に自宅軟禁、その後刑務所で服役。1995年釈放。2003年スー・チー氏と地方遊説中に拘束され、その後自宅軟禁。2010年に解放。スー・チー氏とともにNLDの2枚看板として、2015年の総選挙で政権交代を実現させた。

海外からの投資を歓迎 経済政策をオープンに

永杉 本日お会いするのは2回目になりますが、貴重なお時間をいただきましてありがとうございます。さて、NLDの経済政策はマニフェストには詳しく書かれていませんが、今後ミャンマーの国の発展についてどのような政策をとっていくのでしょうか。

ティン・ウー 確かにマニフェストには詳しく書かれていませんが、NLDとしては経済政策に関してオープンにしていきたいと考えています。外国企業が入ってくるのは大歓迎です。前軍事政権の経済政策の失敗で、国の発展に必要な人材、技術などが不足しています。また、特にインフラ関係が未整備で停電も多く、-部ではいまだに石炭を使っている場所さえあります。外国から企業がミャンマーに進出してきても、インフラが未整備では支障が出ます。解決しなければならない最重要課題として、インフラへの投資を期待しています。

永杉 海外でも通用するような優秀な人材の不足についてはどうお考えでしょうか。

ティン・ウー 現在でも、ミャンマーから多くの若者たちがタイ、マレーシア、シンガポールなど海外に働きに出ています。そのような若者たちにミャンマーに戻ってきてもらい、学んだ技術を国の発展に生かしてもらいたいと思っています。また、外国企業には、ぜひミャンマー人が技術を習得できるような人材養成を行っていただきたいと思います。

永杉 ティラワなどの経済特別区(SEZ)の開発など、テイン・セイン政権が進めた政策については、今後どのように継続していくお考えですか。

ティン・ウー 前政権が始めた契約は、引き続き継続して進めていかなければなりません。そうしないと投資する海外企業との信頼関係が崩れてしまいます。今までの政権では、大きなプロジェクトを開始するときに、国民に対して発表するようなことはしませんでしたが、今後、NLD新政権では必ずオープンにしていきます。前政権が結んだ契約の中には、公開されていない書類があったり、責任者がわからないケースがあったりして、不完全なものが散見されます。そのような契約などはもう一度見直し、不利な条件などは取り消すこともあるかと思います。ミャンマーにとっても、投資してくれる海外企業にとっても、お互い利益が出るようにしていけばいいのではないでしょうか。

自由主義経済市場を目指す 株取引はプロの手助けが必要

永杉 ミャンマーはアジア最後のフロンティアと言われ、日本、中国はもとより、世界中から注目されています。そのような国々からの投資や技術を呼び込むために、どのような政策が必要でしょうか。

ティン・ウー 現在は中国企業との提携が多いのですが、新政権ではどの国とも付き合っていきたいです。ミャンマーは失業者も多いので、労働力も確保できますし、資源もあります。しかし、国内には十分な資金がありませんから、海外からの投資に頼らざるを得ない状況です。世界の最貧国の一つと言われているような状況を脱するには、協力して全力を尽くしていくしかありません。まだ検討中で詳しくは話せませんが、すべての取引は政府の強制ではなく、自由に取引ができる「自由主義経済」を目指していきたいと考えています。この方針は、2年前からスー・チーさんと話し合っています。
 もう一つは株に関する問題です。ヤンゴンに証券取引所が新たに開設され、これから株式の取引が始まります。しかし、ミャンマーはこの分野に関しては知識がありませんので、悪質なブローカーに騙されることがないように注意する必要があります。国際基準に早く達するよう、外国のプロの方々が手助けしてくれることを期待しています。

今でも日本語で軍歌を歌える 国防大臣に昇進

永杉 高校生の時に日本語を勉強されたようですが、日本との関わりはどのようなものだったのでしょうか。

ティン・ウー 第2次世界大戦が始まって日本軍がミャンマーに入ってきました。1942年、私が高校生の時に今までの英語の授業がなくなり、代わりに日本語の授業が始まりました。授業では、ひらがなとカタカナも学びました。今ではほとんど忘れましたが、6か月ぐらい勉強し直せば日本語を話せるようになりますよ。
 ♪~ "海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草生す屍…"

永杉 日本軍の軍歌「海ゆかば」ですね。日本語で歌えるとはすばらしいですね。

ティン・ウー この歌は日本軍が玉砕の発表をする前に流す曲だということで、私が日本人の前で歌い、周囲の人を暗くさせてしまいました。戦後、日本政府に招待されて、日本に行ったことがあります。迎賓館に宿泊し、今の天皇、皇后両陛下と食事をしました。 私は16歳のときにヤンゴンに上り、ビルマ軍に入隊しました。翌年、スー・チーさんの父であるアウン・サン将軍がビルマ軍の将校を募った際に士官学校を受験して、合格しました。士官学校は日本軍の指揮下に置かれていたので、校長も日本人でした。そこで習った日本語は、通常使われている日本語より荒々しかったです。日本語の軍歌も教わりました。日本の敗戦後は国軍の中で昇進して、最後は国防大臣になりました。

最貧国からの脱出を目指し全力を尽くす 海外にいる優秀な人材の技術を生かしたい

スー・チーさんはいつも元気で明るい

永杉 私は昨年、ミャンマーの孤児院へ日本のランドセルを寄贈するお手伝いをした際、ドー・キン・チー財団には大変お世話になりました。ご自身は長くスー・チーさんと仕事をしてきて苦楽を共にされてきましたが、近くから見て彼女はどのような方でしょうか。

ティン・ウー アウン・サン将軍や奥さんのキン・チーさんは、とても心が広く、素晴らしいご夫妻でした。スー・チーさんはご両親のいいところを全部受け継いでいるのではないでしょうか。キン・チーさんがインド大使だったこともあり、彼女は海外生活が長かったのですが、ミャンマー語は驚くほど上手です。いつも元気で明るく、頭がいい。私はスー・チーさんには 何の見返りも望まずに協力していく覚悟です。

永杉 NLDが政権を握った今、過去や未来をどのようにお考えになられていますか。

ティン・ウー 私は軍事政権時代に、通算で16年間もの長い期間、刑務所での拘束や自宅軟禁を受けました。ですが、過去のことはすべて許したいと思います。今こそ、前政権、各民族、全国民が和解し、ミャンマーの発展に全力を尽くすべきです。

永杉 89歳になられても意気高く、非常にお元気ですが、健康の秘訣は何でしょうか。もし、秘薬があれば教えて頂きたいのですが(笑)

ティン・ウー 自分がやりたい事をやっていけば元気で長く生きられます(笑)
 ♪~ "夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る…"

永杉 今度は「夕焼け小焼け」ですね。日本語で2番まで覚えてらっしゃるのですか。私は2番までは歌えません。この元気で、ぜひこれからの新政権を支えてください。ミャンマーの更なる発展と、今後のご活躍をお祈りいたします。


MYANMAR JAPON CO., LTD. CEO
MYANMAR JAPON および英語・緬語情報誌MYANMAR JAPON +plus 発行人。日緬ビジネスに精通する経済ジャーナリストとして、ミャンマー政府の主要閣僚や来緬した日本の政府要人などと誌面で対談している。独自取材による多彩な情報を多視点で俯瞰、ミャンマーのビジネス支援や投資アドバイスも務める。ヤンゴン和僑会代表、一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。

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