【TOP対談】ミャンマーの先輩に問う!

MYANMAR JAPON代表の永杉が日本・ミャンマーの第一線で活躍するリーダーと対談し、"現代ミャンマー"の実相に迫ります。

<2014年2月号>ファッションデザイナー コシノ ジュンコ 氏

今回のテーマ:ミャンマーSEA Gamesにかけた想い、ファッションの力

ファッションデザイナー
大阪府岸和田生まれ。文化服装学院デザイン科在学中、新人デザイナーの登竜門とされる装苑賞を最年少で受賞。パリコレクションを皮切りに北京、NY、ベトナム、ポーランドなど世界各地にてショーを開催し、世界から高い評価を得ている。舞台衣装やスポーツユニフォームといった服飾デザインをはじめ、幅広い分野で活躍中。

民主化前のミャンマーで外国人初ファッションショー

永杉 本日はお忙しい中、お時間を頂戴しましてありがとうございます。
早速ですが、ミャンマーとの関わりはいつ頃からになりますか。またこの国の印象はどのように感じられますか。

コシノ 依頼を受けて訪れた2009年が最初です。民主化前のヤンゴンで、2日間にわたるファッションショーを開きました。日本の外務省が推し進める文化交流の一環(日メコン交流年)、ミャンマーにおいて外国人で初のファッションショーです。少し前にベトナムでもファッションショーを行っており、その話がミャンマー側に伝わったようです。

ミャンマーの最初の印象としては、軍事政権下ですから、どこか街も堅いイメージはありました。また、ファッションモデルは世界レベルと比べればまだまだ。当時、現地でモデルのオーディションを開催し、なんとか男女24人を選びましたが、日本からもモデルを呼んでショーを創りました。
もう1つは、ショーの最中に停電がありました。突然びっくりしますよね、慣れていませんから(笑)。そのときにミャンマー人モデルとお客さんが手拍子で、何事もなかったかのように淡々と進めていたのは、今でも思い出します。
約4年後となる今回のミャンマー訪問の印象は、自由な感じがします。女性たちがおしゃれをして、明るいイメージです。大きく変わりました。

大統領から頂いた機会 コシノ流・日緬の架け橋

永杉 約3年後の2012年6月、日本の「文化・スポーツ交流ミッション」にて訪問団がテイン・セイン大統領を表敬した際、13年12月のSEAGames(東南アジア競技大会・ミャンマー開催)におけるミャンマー選手団および関係役員のユニフォームデザインの要請を直々に受けました。その時のお気持ちと、今までに至る道のりをお聞かせください。

コシノ 大統領の言葉は光栄でした。首都・ネピドーに表敬訪問し、私がデザインした日本の浴衣を贈呈したところ、大統領に自ら試着していただき、現地のテレビ・新聞は大々的に取り上げてくれました。他に意図があったのかは知り得ませんが、この事実に日本人として純粋に応えないといけないと強く感じました。
その後、承諾の連絡をした際に、ミャンマー政府のスポーツ大臣より製品2,400着の提供も要請されました。当初は日本とミャンマーとのファッション技術を通した文化交流を意図しミャンマーに古くから進出している日鉄住金と共同で現地での縫製も検討しましたが、まだ今の技術ではデザイン性に富んだ、丈夫で薄く、通気性の良い機能をも備えたユニフォームの製作は難しい事がわかり、さらに予算調達の問題もありますので、ここはオールニッポンで進めようと思いました。
それから、日本の大手企業に声をかけ、最先端技術を用いたユニフォーム製作を行いました。技術面では、セーレン社の薄くて軽い透湿・撥水加工を施した素材と立体的に色彩・柄を表現するビスコテックスプリント、YKK の簡易分離ファスナー、吸汗・通気性に優れた東レ(メンズ)と帝人フロンティア(レディース)の裏地を使用しました。他にもパナソニック、イオン、ANA、島田商事をはじめとする多くの企業からの協賛、協力を得られました。
13年5月の安倍首相のミャンマー訪問時には同行し、政府の皆様にユニフォームをお披露目しました。完成したばかりのユニフォームを羽織られた安倍総理をご覧になったテイン・セイン大統領は、とてもお気に召された様子でした。すべて"メイドインジャパン" にこだわったユニフォームの完成です。このSEA Gamesを通じ、日本とミャンマーが交流できたことに感謝したいですね。

日本を代表する世界的デザイナーミャンマーで日本との架け橋に――

ミャンマー人はおしゃれ まず業界人材の育成から

永杉 2013年11月16日にヤンゴンで行われた2,400着の贈呈式、その後の映像とファッションの" コシノ・ワールド" ともいえる、日本とミャンマーの文化が融合されたショーを会場で拝見し、非常に感動しました。海外の大舞台を数多く経験されているがゆえ、日緬の架け橋の意味を持つ大きな交流プロジェクトを大成功の形にできたのだと感じました。
R さて、民主化された現在のミャンマー人のファッションに関しては、率直にどのようにお感じですか。

コシノ どこで買ったのか、というらい多くの女性がモデル化しています。高いヒールも履いていますし、わずか数年の成長度合いは"すごい!"の一言です。モデルのオーディションをしていても、ハイヒールのおかけで身長がわからないですね(笑)。想像していたより、ミャンマーの人はおしゃれでした。女性は痩せていて、丸顔で印象は日本人にどことなく似ているからか、この国でのファッション業界のグローバルな可能性は感じています。
今ここで必要なのは、育成の環境づくりです。近年、ミャンマーのファッションデザイン協会ができました。その人たちが活躍すること、また次世代の若い人たちを学校などで育てること、日本とのデザイン交流のお手伝いをすること、だと思います。できる限り協力していきたいです。

ミャンマーの発展に期待 これからも「日本」を発信

永杉 日本企業の進出と、親日国という背景もあって、日本語を学ぶミャンマー人は非常に増えています。またヤンゴンにおける日本料理屋も、この数カ月だけでも急激に増えました。日本人だけでなく、ミャンマー人にとってもヘルシー、トレンディだと好まれていて、衣食住の"食"の文化交流が進んでいます。"衣"のファッションに関しても、自然に興味を持つ人が増えている気がします。
最後に、ファッションに関して、特にミャンマーにおける今後の展望とメッセージをお願いします。

コシノ ファッションというと、欧米をモチーフにしがちですが、少数民族にしても、国や地域によって独特な魅力を持っていますから、自国の個性を活かしたらいいと思います。ロンジー(ミャンマーの伝統的な腰布)も素敵ですよね。
前述した2,400着の贈呈式のショーで、モデルにミャンマーの少数民族衣装を着てもらいました。また、同時に披露した" 日本を着る" という意味を込めた浴衣は、暑い時期の多いミャンマーの人に似合うと思いますし、日本への興味を湧き立たせるものです。
ミャンマー人の腰から下は、ロンジーを着て、サンダルをはく……まさに日本の浴衣文化と同じです。現在、クールジャパン推進会議(※)の委員もしているため、日本とミャンマーの関係がさらに密になるよう、これからも何かしらの発信と貢献を続けていきたいと思っています。
※クールジャパン推進会議:日本の文化や伝統を産業化し国際展開するため、官民あげて推進方策や発信力強化に取り組む内閣官房主導の会議

永杉 人のご縁やショーを通じ、現地の人とコミュニケーションを図り、ファッションの魅力を伝えられている様子がよくわかりました。これからもさらなる日本文化の発信と、世界的ファッションデザイナーとしてのご活躍を心から祈念しております。

MYANMAR JAPON CO., LTD. 代表
MYANMAR JAPON および英字情報誌MYANMAR JAPON+ plus 発行人。ミャンマービジネスジャーナリストとして、ビジネス・経済分野から文化、芸術まで政府閣僚や官公庁公表資料、独自取材による多彩な情報を多視点で俯瞰、マーケティング・リサーチやビジネスマッチング、ミャンマー法人設立など幅広くミャンマービジネスの進出支援、投資アドバイスを務める。ヤンゴン和僑会代表、一般社団法人日本ミャンマー友好協会副会長、公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会特別委員。